【訃報】三笠宮さまが薨去…100歳、昭和天皇の末弟 [10/27]

 --息を引き取られたときは、百合子さまとお二方ということか。その後に駆け付けられた皇族方は

 加地氏「承知してないのでお話しできない状況です」

 --亡くなるまでは百合子さましか間に合われていない

 加地氏「百合子妃殿下が付き添われて薨去されたということでございます」

 --宮内庁関係者は

 加地氏「それはちょっと今は…。薨去あそばされたときに宮内庁関係者が誰がいたか正確に申し上げられないので控えたいと思います」

 --斂葬の儀などの今後の流れは

 加地氏「具体的なご日程を詰めています。そういったことが固まりましたら改めて皆さまにお知らせします。できるだけ早く決めなければいけないので、決まり次第ということに」

 --両陛下のお耳にはもう届いている

 加地氏「それはそうです」

 --何時ぐらいに報告された

 名川氏「8時の心停止が起こってすぐに第一報を入れまして、8時34分に薨去された後もすぐに連絡をいれてございます」

 --そのときのご様子は

 名川氏「侍従を通じて伝えたので、どういうご様子だったかは承知していません」

 --2回とも侍従を通じて

 名川氏「はいそうです」

 --最近は容体が安定してたということだが、お過ごしようを教えてほしい

 名川氏「そのときどきによって、お眠りになっていたり、お声かけにうなずかれたりというような状況がございました。血圧についても安定していて、そのときの状況が許すようであれば、少し手足を動かしていただいたりとか。そういったお過ごしようでした」

 --最後の会話の相手はどなた。内容は

 名川氏「7時40分ごろということですか?」

 --それ以前でも意味のあるやり取りは

 名川氏「多分、前日には百合子さまとお話されているんではないかなと。意思の疎通ができていました」

 --最後は、安らかに静かに亡くなられたのか

 名川氏「苦しまれたという話は担当医から入っていません」

 --8時前後に心停止ということだが、それをもって死亡確認とせず、8時34分に確認というのは34分までの間の時間は生命反応があるのか

 名川氏「死亡確認を行ったのが34分」

 --実質的に亡くなったのは8時?

 名川氏「実質とか形式ということではなく、死亡の定義は医師が三兆候を確認したときをもって死亡なので、心臓が停止したから死というわけではありません」

 --その30分間はどんな時間だったのか

 名川氏「百合子さまが病室にいらっしゃるようなお時間が主でした」

 --百合子さまが、三笠宮さまのお部屋に入られたのは何時

 名川氏「推測ですが8時30分前ではないでしょうか。死亡確認が行われたのが34分ですから」

 --急変の連絡を受けて病室に

 名川氏「そうですね」

 --百合子さまのご入院は

 名川氏「百合子さまの件はずれるので、お許しいただければ」

 --百合子さまのご様子は

 「それは存じ上げておりません」

 --殿下は100歳。これだけの長寿を保たれていた理由は

 名川氏「肉体的に、通常の方という言い方は失礼だが、通常の健康な方より上回って、ご健康な状況を保てるだけの体力がもともと若い頃からおありだったのだろうと思います」

 --日常生活で気を配られていたことは

 名川氏「毎日ご運動を欠かしませんでした。宮邸にいるときは毎日されていました」

 --散歩とか、筋力トレーニングとか

 名川氏「両方ですね」

 --6月ごろ、リハビリをされているという説明があった。足腰のリハビリはいつまでやられていたのか

 名川氏「リハビリにも幅がございます。手足を動かされるということなら、つい最近までおやりになっていました」

 --昨日も?

 名川氏「それは分かりません。三笠宮さまがどういうご状況かというイメージでいうと、ベッド上で絶対安静で、少し動いたらまずい、ということではありませんでした」

 --7時40分ごろまでは、いつも通りに過ごされていたのか

 名川氏「通常通り」

 --朝食も召し上がったのか

 名川氏「通常通りでございます」

 --時間は

 名川氏「そこは承知していません」

 --起床された時間は

 名川氏「承知しておりません」

引用元:Yahooニュース

 

三笠宮さま 歴史学者として国際的に活躍 – 日テレNEWS24 2016年10月27日 12:39 http://www.news24.jp/articles/2016/10/27/07344823.html 天皇陛下の叔父 …

三笠宮さまご逝去 死因は高齢に伴う心不全 – 日テレNEWS24 2016年10月27日 12:24 http://www.news24.jp/articles/2016/10/27/07344815.html 天皇陛下の叔父 …
 
 
 
:2016/10/27(木) 12:52:56.09 ID:

★三笠宮さまがご逝去…100歳、昭和天皇の末弟
2016年10月27日 12時14分

三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)親王殿下は、27日午前8時34分、心不全のため、
東京都中央区の聖路加国際病院で逝去された。

100歳だった。昭和天皇の末の弟宮で、天皇陛下の叔父にあたり、明治以降の皇族では最高齢だった。
皇位継承順位5位で、三笠宮さまの逝去により、皇位継承権を持つ男性皇族は4人になった。

宮内庁では、加地隆治・宮務主管が27日午前10時半から記者会見し、三笠宮さまの逝去を発表した。
同席した宮内庁の名川弘一・皇室医務主管によると、最近の三笠宮さまの容体は安定した状態が続いていたが、
この日の午前7時40分頃から徐々に心臓の拍動が遅くなり、意識不明となった。同8時頃に心停止状態となり、
同34分、妃殿下の百合子さま(93)にみとられ、逝去が確認されたという。

三笠宮さまは2006年頃、心臓の僧帽弁閉鎖不全症と診断された。長男の寛仁さまが亡くなられた翌月の
12年7月、急激に心機能が低下、弁の機能回復のため心臓を止めて人工心肺を使った手術を受けられた。
当時96歳の高齢者には異例の手術だったが順調に回復し、今年5月までは宮邸で静かに過ごされていた。

15年12月2日に100歳の誕生日を迎えられた。今年1月2日の皇居一般参賀に臨まれたが、
急性肺炎で5月16日、同病院に入院。心臓機能の低下が発覚し、経過観察を続けられていた。
名川医務主管は「懸命の治療を続けてきたが、年齢からくる心機能の低下はいかんともしがたかった」と説明した。

三笠宮さまは1915年(大正4年)12月2日、昭和天皇、秩父宮、高松宮に続き、大正天皇と
貞明皇后の第4皇子として誕生された。幼時の称号は澄宮すみのみや。32年(昭和7年)、
学習院中等科4年を修了して陸軍士官学校予科に進まれた。

卒業後、騎兵連隊勤務を経て陸軍大学校で学び、先の大戦中は支那派遣軍の参謀や大本営陸軍参謀などを務められた。
終戦時は少佐で、陸軍の方針には反対の立場を取られていた。この間の35年12月、三笠宮家を創立。
41年10月、高木正得まさなり子爵の次女、百合子さまと結婚された。

戦後は東大文学部の研究生として西洋史や宗教史を修め、オリエント学者の道を歩まれた。
55年から東京女子大や青山学院大の講師を務められ、75年にロンドン大の客員教授、
85年には東京芸術大美術学部の客員教授にも就任。一方で、大戦中の軍部批判や、
建国記念の日の制定に絡む「紀元節」復活反対の発言なども話題となった。

百合子さまとの間に寛仁さま、桂宮さま、高円宮さま、近衛寧子さん、千容子さんの3男2女をもうけられた。
2002年11月に高円宮さまが、12年6月に寛仁さまが、14年6月には桂宮さまが亡くなり、
3人の男子ともに先立たれた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20161027-OYT1T50033.html

:2016/10/27(木) 13:40:20.61 ID:

小迎ちゃんパパ18歳 –  ‏@nakamukae
NHK:逝去
朝日:逝去
読売:逝去
毎日:逝去
産経:薨去 ←唯一正しい表記
日経:逝去
共同:逝去
時事:逝去
TBS:逝去
NNN:逝去
ANN:逝去
https://mobile.twitter.com/nakamukae/status/791441269318754304
:2016/10/27(木) 14:22:11.69 ID:

こいつの著書に
エジプト暦は一年が365日でうるうの概念がないが、1400年ほどで元に戻るので問題ない
という記述があって笑った記憶がある

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